一行院について

はじまり

 江戸幕府が開かれてまだ間もない慶長の末(西暦1600年代初頭)。
譜代大名であった永井直勝は、現在の信濃町にあたる場所に下屋敷を拝領していました。
ちなみに信濃町という地名は、ここに屋敷を有していた永井家宗家が代々「信濃守」を称していたことに由来します。当初は信濃殿町、信濃原と呼ばれ、それがやがて信濃町になりました。
 直勝は僧侶になった家臣(来誉故念)のため、その屋敷の一部に一行院を建立します。これが現在の永固山一行院千日寺のはじまりとなりました。
 直勝の没後、その菩提を弔うために千日を単位とする万日回向の常念仏が行われるようになり、その事から千日寺と名付けられ、いつしかその周辺は千日谷と呼ばれるようになりました。


永井直勝

昭和の再建

 昭和30年代、東京オリンピックの開催が決まった東京は大規模な再開発が行われており、その一環で首都高速道路4号線が一行院の墓地の一部にかかることとなりました。
明治時代にも鉄道の敷設のため境内地を提供しており、この高速道路建設によって、開山当初2025坪あった一行院の境内地はおよそ半分になりました。
 一行院はこれを機に昭和37年に大規模な改葬を行い、墓地を納骨堂に、本堂を鉄筋コンクリート4階建てに再建しました。
 これが現在の「千日谷会堂」と、「舎利塔」です。 ロッカー式の納骨堂や、本堂を貸し会場として提供することなども、当時としては画期的なことでした。

一行院と信濃町駅 昭和37年頃

一行院 昭和37年頃

千日谷会堂 平成27年2月

千日谷会堂と舎利塔 平成27年2月

これからの一行院

昭和の再建から50年、当時最新だった建物も老朽化が進みました。
また、建築に関する様々な規制や耐震基準が当時より厳しくなっていることなどもあり、この度平成27年秋より、新たな一行院再建事業に着手することになりました。

 2020年、2回目となる東京オリンピックの開催も決まり、奇しくも又オリンピックと共に新たな一行院が生まれようとしています。


再建計画デザイン